スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

9月21日:更新「コンサートホールと美術館」


『Pen Spinning Memorandum』備忘録の公開42日目です。
本日の備忘録はこちらです。

Lotusさん:『コンサートホールと美術館』

以下追記より





・はじめに

 この記事は PenSpinningMemorandum に寄稿した備忘録です。普段頭で巡らせていた CV についてのごちゃごちゃした考えを纏める機会をくださった TheCCAW さんと Prague さんに感謝いたします。

 ここ数年でペン回しの競技化が大きく進んできました。そのことによって、このままペン回しの競技としての側面が大きくなった場合、CV という文化は廃れていくのかどうかという疑問が私の中に生まれました。考えていくうちに、「そもそも CV とは何なのか」でありますとか、「CVの価値とは何であるか」でありますとか、正直なところ考えるよりも実際に CV を作ったほうが何倍も有益であろう事柄までも考えるようになりました。ここでは、その途中ではありますが、現段階での考えを纏めておくことにします。したがって、ここにはペン回しまたは CV 制作について有益なことは一切書いてありません。はっきり申し上げて、読んでる暇があったら私のCVを見て貰った方が何倍も嬉しいです。


 ペン回しは技と美を競い合う文化です。これは疑いの余地がありません。これまでに生じたペン回しに関する本質的な議論は全て、技と美のどちらに重点を置くべきかという主題か、ペン回しにおける美とは何かという主題に尽きるように感じられます。この技と美の二要素があるという点で、しばしばペン回しはフィギュアスケートや体操になぞらえて語られることがありました。
しかしそれは本当に適切だったのでしょうか。

 最近はペン回しの競技化にあたり採点基準に関する議論が活発に行われてますね。公平な採点基準を決めるにあたり、様々な問題が顕在化してきたようです。採点化に関わる難しい問題は、体操やフィギュアスケートでも繰り返し取り沙汰され、その度に大なり小なり基準の改定がなされてきたようです。この点でもペン回しは体操とフィギュアスケートは似てますね。ところが、ペン回しとフィギュアスケート・体操の評価体系には大きな違いが 2 つほどあるように思えます。

 まず挙げられるのは、規格の自由度です。体操では選手の国籍や体型の違い、会場の違いに関わらず常に厳密に規定されたサイズ・材質の器械を用いて競技が行われていますし、フィギュアスケートもアイスリンクや服装・シューズには明確な規定があります。ところがペン回しはペンの長さ・太さ・材質全てにおいて規定がありません。唯一の世界大会である Pen Spinning World Tournament 2015 でさえペンに関する規定はなかったように記憶しています。NPF でも規定はありますが、厳しい年でも長さ・筆記可能性に留まり、重さについて規定はありませんでした。現在では改造に弾丸を使ったペンが当たり前のように流通していることからも、ペン回しに統一規格を見ることは到底できないことがわかります。

 もう一つの違いは、競技性の強さです。もう少し具体的に言えば、競技会と発表会のうち、最も重要視されているのはどちらなのかということです。スケートにもアイス・ショウなる発表会があり、体操にも発表会はありますが、双方とも選手が最も脚光を浴びるのは世界選手権やオリンピックといった競技会です。一方、ペンスピナーが最も脚光を浴びる場というのは、私が思うに CV ではないでしょうか。確かに Lovetrap Cup では mind さんが、PSWT2015 ではMenowa*さんがこの上ない称賛を浴びました。しかしこのお二方の FS を一番よく見るのはやっぱり CVやソロビデオです。仮にペン回しの主軸が大会であるとして、もし YouTube にアップロードされた大会の動画だけで事足りるのなら、それらを纏めた拾い CV が多数作られてることを説明できません。少なくとも現状では、ペンスピナーにとっての最上の晴れ舞台は CV なのではないでしょうか。


 以上の違いから、ペン回しはひょっとすると、完全に一致するわけではないにせよ、フィギュアスケートや体操よりも音楽や美術に近いのではないかという考えが浮かびました。これだけを聞くとなんだか突拍子もないことを言ってるように思えますが、スピナーが評価されていく道筋を見る限り、どうもペン回しは音楽や美術の方が共通点が多いようです。

 まず音楽の話をしましょう。恐らく、音楽にもコンクールという競技会めいたものがあるではないかと思われるかもしれません。調べたところによると、ショパン国際、エリザベート国際、チャイコフスキー国際といった主要国際コンクールでの審査基準では、高い技術は前提のものとして、演奏者のセンス、表現力、特徴に主眼を置いているようですし、チャイコフスキー国際に至っては如何に大勢の聴衆の楽しませるかということが重視されているようです。つまり競わせるのは技術ではなく芸術性です。競技会とはやや様相が違うようです。また、このコンクールでさえ、演奏者の登竜門でありながら、順位付けのために他の多数の演奏者を落胆させてしまうという側面や、あらかじめ用意された基準では計れない演奏者を適切に評価できない等デメリットも多く、必要悪とみなされているようです。やはり、演奏者にとって自己の表現を前面に押し出せるのはコンサートやリサイタルであり、コンクールではないのでしょう。ベーラ・バルトークの言うように、「コンクールは馬の為のものであって、芸術家の為のものではない」のです。ペン回しに話を移せば、規定があろうとなかろうと、ある程度の縛りがある大会よりも、自分が最も良いと思えるペン回しを表現でき、かつそれを発表を出来る場のほうがスピナーにとって重要であり、そのような場として CV は重宝されて然るべきなのかもしれません。

 続いて美術ですが、これこそまさにコンクールよりも作品自体に主眼が置かれている最たる例と言っていいでしょう。何より注目したいのが、その規格の多様性です。19 世紀以前で既に画材・モチーフともにかなり自由度が高く、クールベは本来小品として描かれるべき≪オルナンの埋葬≫を歴史画用の大画面絵画に仕立てているし、現代美術に至っては牛の頭と蠅をショーケースに入れた≪A Thousand Years≫という作品まであるくらいです。これが許されている状況と、どんなペンを回してよく、それをどのように回してもいいペン回しの世界の状況は非常に似ています。さらに、上に挙げた 2 作品を同じ基準で優劣をつけることが如何に馬鹿馬鹿しいか、何かの大会で hash 氏と Menowa*氏の FS が決勝に残った場合を想像してみれば、容易にわかると思います。そして CV はこれらの多様な作品に優劣を付けずに同時に展示できるサロンとして、重要な役割を担っていると言わなければなりません。

 ペン回しの競技化はどんどん進めて良いと思いますが、それによって CV の文化が廃れるというのは、私の杞憂だったかもしれません。なぜなら、以上のように様々な分野とペン回しの類似性からスピナーの評価体系を見つめなおすと、スピナーが最も納得のいく FS を組み、撮影し、発表することで、それぞれの思想の対立や融和が行われ、それを通してより美しい FS に到達するための動機付けになる場として、常に CV は必要とされると思われるからです。そしてそのために CV 制作者は、提出された各 FS に常に敬意を払いながら、次の FS へのモチベーションにつながるよう CV を整備していかなければならないのかもしれません。



参考文献
綿井永寿 ほか, 『図解 スポーツルール大辞典』, 東陽出版
市場俊之, 『男子体操競技 その成立と技術の展開』, 中央大学出版会
島津京 ほか, 『西洋の美術 造形表現の歴史と思想』, 晶文社
吉川逸治 ほか, 『西洋美術史』, 美術出版社
ジョーゼフ・ホロウィッツ, 『国際ピアノコンクール その舞台裏の悲喜劇』, 早稲田出版




以上,Lotusさんの備忘録で『コンサートホールと美術館』でした。
ご投稿頂いたLotusさん,ありがとうございました。

明日公開予定の備忘録はKayさんの『ペン回しの進化』です。

君のハートをストォップ!

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。